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明治維新とともに日本では近代化が進み、急速な西洋文化の流入が始まりました。日本人の画家たちもまた、ヨーロッパの文化や芸術に衝撃を受け、自身の作品に多かれ少なかれ取り入れていくことになります。本展では、日本の洋画家たちの作品を中心とした約55点により、彼らがヨーロッパに抱いた憧れや葛藤の念から生み出した表現の数々をご覧いただきます。
画家たちそれぞれが感じた「欧羅巴」を、その作品の魅力とともにお楽しみください。
※7/20に一部展示替を行います
展示構成
憧れの欧羅巴
日本洋画の黎明期であった明治時代。渡欧した画家たちは新しい美術の動向を日本に持ち帰り、自身の制作に活かしました。また、雑誌『白樺』(1910年創刊)ではルノワール、セザンヌなどが紹介され、日本の美術界に大きな影響を与えるとともに、画家たちに西洋美術に対する大きな憧れを抱かせました。しかし、画家たちは西洋から多くを吸収しつつも、同時に日本人であるという自己を見つめ直すことを忘れていませんでした。渡欧経験の有無に関わらずヨーロッパに憧れを抱き、その芸術や文化に学びつつも、日本人としての油彩画の表現を追求していったのです。
- ポール・セザンヌ《麦藁帽子をかぶった子供》
1896~1902頃
- 安井曽太郎《卓上静物》1950
ゴッホと日本
19世紀後半のパリで流行したジャポニスム。ゴッホは浮世絵などの日本美術に強く心酔しました。一方で、日本の洋画家たちはゴッホが日本に紹介されて以降、彼の作品や人生に魅了されていきます。ここでは、ゴッホからさまざまな形で影響を受けた洋画家たちの作品をゴッホの作品とともにご紹介します。さらに、ゴッホが模写をした浮世絵として知られる歌川広重《名所江戸百景・亀戸梅屋舗》を併せて展示します。
- フィンセント・ファン・ゴッホ
《一日の終り(ミレーによる)》1889~90
- 前田寛治《家族》1923
仏蘭西に集った画家たち
ヨーロッパ文化の中心となったフランス。とりわけ、1920年代のパリにはさまざまな国から画家たちが集います。主にモンマルトルやモンパルナスを活動拠点とし、「エコール・ド・パリ」と呼ばれました。日本からも明治時代以降、多くの洋画家たちが憧れを胸にフランスに渡りました。終生この地で活躍した画家、短い滞在ながらフランス美術に大きな影響を受けた画家、改めて自身の制作を見直すきっかけとした画家など、その関わり方はさまざまですが、いずれも日本洋画の発展に貢献しました。
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レオナール・フジタ(藤田嗣治)《横たわる裸婦》
- 岡鹿之助《城》1976
メナード美術館 初公開コレクション
岸田劉生
《童女洋装》
制作年:1926年
形質:紙本彩色、軸
サイズ:132.2×33.3cm
後期印象派や北方ルネサンスといったヨーロッパの絵画に影響を受けた岸田劉生は、同時に中国宋元画にも目を向けるなど、早くから東洋絵画の美を意識していました。30歳を迎え、油絵では表現できない美を日本画の画材に求め、南画へも関心を示します。
おかっぱ頭で洋装の童女は劉生の娘・麗子です。画面右上には墨で題名を入れるなど、南画を意識した作品ですが、最先端の流行が入る銀座に生まれ育った劉生だからでしょうか。西洋的な感覚が多分に感じられます。1923年の関東大震災後の数年間を京都で過ごしたこともあり、38歳で亡くなった劉生の画業の後半期にはこうした日本画材を用いた作品が多数残されています。
歌川広重
《名所江戸百景・亀戸梅屋舗》
制作年:1857年
形質:木版、紙
サイズ:35.7×24.0cm
江戸の町の百ヵ所以上を歌川広重が描き出し、木版画で出版されたのが「名所江戸百景」です。各所を背景に、凧揚げ、花見、鯉のぼり、花火などの風物も描きこまれ、江戸時代の活気をみると共に、現代に続く日本の文化をも感じることができます。
そのうちの一図、《亀戸梅屋舗》は現在の東京都江東区にあった梅園で人々が花見を楽しむ様子が描かれています。しかし梅花や花見客の小さな姿に対し、画面前景を斜めに横切り圧倒的な存在感を示すのは太く黒い梅の幹です。その大胆な構図と配色に触発されたゴッホは、自らの浮世絵コレクションから本図を選び、油絵で模写をしています。
※ 展示内容は変更になる場合がございます。ご了承ください。