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内容は作品の写真です。
1927(昭和2)
画布、油彩
72.1×60.0cm |
1920年代のパリには芸術家を目指す多くの若者が集まっていた。大正12(1923)年、東京美術学校藤島武二教室を卒業したばかりの佐伯祐三も渡仏した。2年余の滞仏生活ではヴラマンクとの出会いとユトリロの感化によって、抒情性を漂わせた独自のフォーヴ調の画風を示した。
大正15年に帰国してからは前田寛治らと「一九三〇年協会」を設立するなど意欲を示したものの、日本の風景での制作は思うように進まず、再び渡仏を決意。
昭和2年初秋、パリに到着する。(日本への帰国を境に前期を第1次滞仏期、後期を第2次滞仏期と区別している。)この第2次滞仏期ではモンパルナス周辺のカフェや広告塔、裏街などパリならではの情景を黒の鋭い描線を駆使しながら驚くべき速さで制作を進めていった。そのうちの1点である本作品も広告の文字や建物の輪郭線、道行く人々を素早い筆触で描写し、第2次期の特徴がよく表れている。また壁一面に貼られた色とりどりの広告と暗褐色の壁とが鋭くV字に切り込まれた構図のもと、絶妙な対比を示している。パリの重厚な街並みにこそ佐伯の求めていた造形対象があったことを切に物語る作品である。
しかしパリの厳しい寒さに加え無理な制作活動は病弱な身体を蝕み、健康状態は悪化。さらに精神に錯乱をきたし、翌年6月パリ郊外の病院にて30歳の若さで客死する。再渡仏からわずか1年足らずであった。 |