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1923(大正12)
画布、油彩
116.7 × 88.2 cm |
東京美術学校で藤島武二に師事した前田寛治は大正12年に渡仏、帰国後は帝展の新進画家として華々しい活躍ぶりを見せ、また佐伯祐三ら留学仲間と「一九三〇年協会」を結成、当時の画壇に大戦後西洋美術の新しい流れを示した。
そして「質感・量感・実在感」を三原則とした独自の写実理論を追求、理論的指導者として中心的な役割を果すなど、早逝するまでの5年間に凝縮した活動を行なった。
本作品はパリ留学直後の作。オーヴェールにゴッホの墓を写生に出かけたりし、フランスへ着いた当初の高揚した気分の中で描かれたのだろう。渡仏前よりみられた短い筆触の画風はゴッホへの傾倒を示すものであり、本作品も同手法で描かれ、且つ構図・題材の点でもゴッホの初期作品《馬鈴薯を食べる人々》の影響が窺われる。
しかし、パリでフォーヴィスム、キュビスムなど新しい美術の展開を目の当たりにした彼は、ゴッホのみに留まらずセザンヌより吸収した造形の法則性を群像表現や背後の木々などに適用している。すでに理論的に考え知性による造形を追求した帰国後の彼の姿勢の萌芽が見られる一方、暖かい赤茶色の階調のみで庭先にくつろぐフランスの家族を描いている点は彼の生来の詩情、人々への暖かい眼差しを見てとれる。
この後、クールベに心酔しリアリズムを彼なりに消化することで日本の写実主義の理論的見解を帰国後推し進めることとなる。 |