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1919(大正8)
紙、水彩
38.2×28.3cm |
岸田劉生といえば即座に想起させる「麗子像」のモデル、麗子は大正3年4月、岸田劉生・蓁夫妻の長女として生まれた。麗子の誕生以来劉生はスケッチに描き留めたりしたが、数え年5歳の時からモデルとして本格的に制作し始めた。
最初の油彩作品《麗子五歳之像》(東京国立近代美術館所蔵)ではデューラーの影響が強くうかがわれる。以後劉生が急逝した麗子16歳の年まで、油彩画・水彩画・素描、更には日本画として数多くの麗子像が制作されたが、それらは愛娘の肖像画の域を越えて画家劉生の求めた絵画理念、画風の変遷を如実に物語る極めて重要なシリーズとなった。
当館には《林檎を持てる麗子》の他、《麗子微笑之立像》《麗子坐像》(2点とも大正10年作)と、計3点の麗子像が収蔵されているが、いずれも水彩画であり、劉生が鵠沼海岸(現在の神奈川県藤沢市)に居を置いた期間の制作である。そもそも大正
6年同地への移転は肺結核療養のためであったが、誤診であり健康は間もなく回復。長與善郎、椿貞雄、梅原龍三郎らとの交流も盛んで、関東大震災により京都に移るまでの6年余りは制作活動をはじめ劉生の生涯において最も充実した時期であった。
この「鵠沼時代」のうち特に大正 8~10年は水彩画を多作している。とりわけ麗子像や於松(鵠沼の漁師の娘)の像では幼女たちの表情をいきいきと捉え、油彩画とは異なった魅力を伝えている。なお麗子が纏っている毛糸の肩かけは、於松の持ち物だったのを麗子の上等な品と交換することで劉生がもらい受け、ふたりに着せては描いた。本作品でも色彩・質感に効果を高めている。 |