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内容は作品の写真です。
1906~07(明治39~40)
画布、油彩
38.2×36.1 cm |
藤島武二が薩摩藩士の子として生まれたのは、慶応3年のこと。長らく続いた武家社会が終焉し、元号が「明治」へと変わる前年であった。17歳で上京、しばらく日本画を学んだのち、かねて志望していた洋画へ転じた。
明治38年、文部省の命により渡欧。1900年代に入ったパリでは、印象派に次ぐ新しい画風が展開されていた。そうした状況を眼前にした藤島武二は、わが国に印象派風の表現をもたらした黒田清輝の師である、ラファエル・コランに敢えて就かず、逆に国立美術学校のフェルナン・コルモンのもとでアカデミックな勉強をしている。
本作品はパリでの制作。西欧の柔らかな光の中の女性像を背景共々素早い筆触で捉えており、日本で得た外光派の影響が窺われるとともにコルモンのアトリエで学んだ的確な油彩画技法の成果を示すものである。2年間のパリ生活を終えた藤島はローマに移り、肖像画を得意とするカロリュス・デュランに師事。人物表現についての研鑽を深めている。その成果はローマ留学時に描かれた婦人像の名作《チョチャラ》《黒扇》に繋っていく。
この留学はすでに東京美術学校西洋画科助教授の地位にあり、《天平の面影》や《蝶》など明治浪漫主義絵画の頂点を示す傑作を生み出していた藤島にとっては、年齢的には遅いものではあったが、あらためて絵画の基礎を学び取ったことは画家自身のみならず、日本の近代洋画の発展に計り知れない意義を持ったのである。 |