屏風の歴史は古くは奈良時代にまで遡るが、建築様式と密接に結びつきながら日本絵画の重要な一要素となっていった。桃山時代には城郭建築の隆盛にともない障壁画が画期的に発展し、特に狩野派によって確立された濃彩の金碧障屏画は支配者の権力の象徴として最盛期を迎えた。
桃山時代の作とされるこの金屏風は、おそらく一双の屏風の片方が残ったものと思われる。自然を愛でる感性を持った日本人は、一双の屏風に四季の移り変りを描き込むことを好んだ。本作品は菊花を主体とした秋景に芍薬と睡蓮という夏草を織りこんだものであり、対の半双には春景が描かれていたと推測される。
画面中央に豪奢な金泥で籬(まがき=竹や柴などを粗く編んで作った垣)を配し、金碧障屏画特有の金地の雲へと連結している。太い竹が密に重なり合う豪壮な竹林から一本の緩やかにしなう細竹の曲線に導かれ、画面右下部の荒々しい岩の上に咲く可憐で細密な描写の菊花へと達する巧みな構成を示した本作品は、桃山障屏画の荘重な美を具現している。
籬の画題は主に桃山末期以降、狩野派が得意としていたようだ。自然の一角を写し取った花木図に、人工物の籬を加えることで画面はより洗練され、垣の傍らの一枝の紅葉が風流な趣を添えている。 |