1937
(昭和12)
紙本彩色
114.2 ×31.8cm |
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大阪に生まれ、京都市立美術工芸学校・京都市立絵画専門学校で学ぶ。大正7年土田麦僊、小野竹喬、榊原紫峰らと国画創作協会を創立したが、持病の喘息が悪化し始めた大正10年には芦屋に転居。さらに昭和2年神戸花隈に移ってからは画壇との接触を断ち、自らの画境を深めることに専心した。頭上に宝冠を戴き身を瓔珞で飾ったこの上なく豪奢な観音像。光背、蓮華坐、左手の水瓶は本作がまぎれもなく仏画であることを物語っている。だが、しなやかな衣に身を包み蓮一輪を手にした立姿には、どこかしら華岳特有の官能的な香りが漂う。ここには《裸婦図》以来描き求めてきた「久遠の女性」が宿っている。晩年に至って築き上げられた理想の女性像の化身であり、美の結晶と呼ぶに相応しい作品である。 |