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1934(昭和9)
紙本墨彩
46.5×61.2cm |
東京浅草に生まれる。松本楓湖の安雅堂画塾で日本画を学ぶが、のち今村紫紅に兄事、23歳の若さで日本美術院同人となる。やがて徹底した写実主義に移り細密描写を日本画に取り入れ、さらに幻想性漂う世界を示した《炎舞》(1925)や宗達・光琳の日本的な装飾性とキュビスムとを消化した大作《名樹散椿》(1929)などの傑作を生み出し、絶えず日本画の新しい表現方法を求めて意欲的な創作活動を展開したものの、昭和10年腸チフスのため急逝した。
《芙蓉》は没前年の制作。大正期の徹底した写実の消化を経て、昭和5年の渡欧を契機にいっそう東洋美術への傾斜を深めた。本作品は確かな空間構成に冴えた線描、墨の柔らかな階調と花のみに施された紅の彩色との呼応が美しい芙蓉の図である。一連の水墨調の花鳥画と共に、そこにはまさに晩年の御舟が求めた日本画の理念がある。 |